空飛ぶドクターと行ったお伊勢詣りと和歌山熊野詣

入院中で車イス使用の進行性核上性麻痺の夫と新千歳空港から飛行機で旅行に行ってきました。

2013年5月22日(水)〜5月24日(金)


きっかけ>2出発前と持物
第一日目>4第二日目>5第三日目
6旅を終えて>7車イストイレ>8風景写真集

※いま見ているページは、「旅を終えて」です。




旅を終えて



〜お母さんありがとう〜

 旅を終えて、二、三日後に母から電話が来ました。

「もしもし」
「あ、お母さん」
「無事に行って帰ってきたかい?」

 その声は、旅に行く前にかかってきた電話の口調と同じで不安そう。私たちが楽しみにして行ったのに、途中で思わぬトラブルがあり、楽しめなかったのではないか、という風にでも思っているかのような、そんな感じがしました。

「うん、無事に行って帰ってきたよ!」
「全行程、リュウさんとこなしてきたの?」
「全行程?うん!ほぼ全行程、リュウとこなして無事に帰ってきたよ」
「リュウさんは楽しめたみたい?帰ってきてからぐったりしていない?」
「大変で、楽しかったって言っていたよ。南紀白浜のビーチの砂が白いってすごく印象的だったみたい。それに、伊勢神宮の正宮の階段のぼって、参拝してきたの!旅行中あまり眠れていなかったようで、私も旅の疲れてぐったりしたらどうしようかと思っていたけど、全然なんともないよ、看護師さんもそう言っていた。旅行に行って、かえってよかったって」
「そう、とりあえずは、無事に行って帰ってきたみたいで、安心したわ」

 母は私の話を聞き、それまで抱いていた緊張感が薄れたようです。そんな感じがしました。
 そして電話を切りました。

 ありがとう、お母さん。

 その電話からしばらくして、母から今度は手紙が来ました。そこには、第一日目の早朝の出発からの心配ごとが書かれていました。飛行機に乗り遅れなかったか、飛行機では具合が悪くならなかったか、乗り物の移動は大丈夫だったか、無事に行程をこなせたか、無事に病院に着いたか、旅のひとつひとつを心配してくれていました。そして、電話で確認できて、やっと安心したとのことでした。

 ありがとうございます、お母さん。

〜私の感動〜

 私は、この旅のあいだじゅう、私のひとつの目は自分の目、もうひとつの目はリュウの目(リュウを意識した目)で見ていました。
 私がこういう風に見るようになったのは、去年(2012年)リュウがS病院に入院してからです。
 S病院ではじめて院外散歩があり、みんなで車イスで近くの公園に行きました。
 その時、

 あ〜この地面に咲いているお花をリュウが見るのは、いつ以来だろう?
 リュウが、吹かれる風にからだがつつまれるのはいつ以来だろう?

 と思いました。
 そうすると、今まで何気なく思っていたお花だとか踏んでいる土だとかが、輝いてその存在感が増すのです。
 その後も一緒に院外外出をしたりすると、同じように思いました。
 今回の旅行もそうでした。

 あ〜リュウが海を見るのはいつ以来だろう?
 からだをなでるような、やさしい樹木にかこまれた道を歩くのはいつ以来だろう?

 という風にです。
 入院しているリュウと一緒に行動すると、リュウの存在、魂に触れるから、そう思うのだろうと、気が付きました。
 そう、今回もリュウの魂にふれる旅でした。
 ひとつは私の目、もうひとつはリュウの目(リュウを意識した目)で見るものは、本当に新鮮で神秘的でみな存在感をまし輝いていました。
 この旅はリュウと一緒でなければ、またちがった印象になったと思います。私は、リュウと一緒に、旅行に行けて、本当によかった。
 そしてそれは私だけではなく、旅先で出会った人もリュウの魂にふれたと感じました。
 飛行機に乗るとき、降りるとき、客室乗務員さんが声をかけてくださいました。どういったことで飛行機に乗るのかということです。私は、夫が難病で入院中で、でも、お医者さんと看護師さんが同行のツアーで、北海道から伊勢神宮に行ってきます(来ました)というと、そのひと言ひと言をしっかり聞き、少し間があき、目の奥の色が少し変わり、しっかりとした口調で「いってらっしゃいませ(おかえりなさい)」と言ってくれました。
 リュウの魂にふれた瞬間です。

〜リュウの気持ち〜

 ところでリュウの旅行中の気持ちが知りたい、そう思っていたら、旅から帰ってきたつぎの日に、その一部を知ることができました。
 看護師さんからお土産を頼まれたリュウは、お土産屋さんで「カンゴシサンに・・・、オミヤゲ・・・」と私に伝えてきました。わかったと言い、お土産を買い、旅から帰ったその日、対応してくれた看護師さんに渡しました。
 翌日の夕食を手伝いに病院に行くと、ひとりの看護師さんが、ディスペースに座っているリュウと私のところに来ました。そして、

「あのね、リュウさんにお礼を言ったの、今日、お土産の。そうしたら、何ていったと思う?自分に言わないで、奥さんに言ってって。旅のあいだ中、奥さんがいろいろしてくれて、とても感謝してるって。お土産のお礼も自分じゃなく奥さんに言ってって」

 真剣な眼差しでその看護師さんが言い、私は、思いもよらなかった言葉にびっくりしてしましました。

 リュウが旅でいだいていた気持ちは、私への感謝だった?そういう風に思っていたの?

 たとえば、新婚旅行で旅行に行ったとして、そのとき、旅行のあいだ中、相手にたいして感謝の気持ちを持っているでしょうか?ただ、お互いが楽しめたらいいな〜と、そんな感じではないかと思うのです。
 今回の旅行も私は、お互いが楽しめたらいいな〜と、ただそういう風に思っていました。
 そのリュウの言葉を看護師さんから聞いて、とても有りがたく、うれしく思いました。

 リュウ、ありがとう・・・。

〜南の島のマユミナース〜

 そして、そういうリュウの気持ちをみごとに想像していた人がいました。いま入院しているM病院のリュウの担当看護師さん「マユミナース」です。マユミナースは、今年の2月の私の誕生日に、

 「毎日毎日、リュウさんのお見舞いに来ていて、リュウさんきっと、奥さんにとっても感謝していると思うの。でも、うまく伝えられないから、私がそのお手伝いできないかな?と思って、奥さんの誕生日聞いたら、これからだしもう近いし!ってわかって、お誕生日のイベント、リュウさんと打ち合わせしていたの。 お花と色紙なんだけど、受け取って」

と言って、私に手作りのお花と、院長先生から主治医のMドクター、看護師長さん、そしてたくさんの看護師さんの寄せ書きの入った色紙を、リュウに持たせてくれて、プレゼントしてくれた人です。感激しました。今でも忘れられません。

 そのマユミナースですが、いま、南の島にいます。

 鹿児島県の奄美群島のひとつの島にいます。
 実は、今年の3月に結婚のため、M病院を退職されました。マユミナース、あらためておめでとうございます。そして、旦那さまになる人が住んでいる南の島に、4月に引っ越しして行ったのです。私は北海道から、はるかかなたに住んでいるマユミナースに、リュウのときどきのことを、伝えていました。今回の旅行のことも行ってきたと伝えると、マユミナースは、リュウの気持ちをそう想像したのです。

〜最後の夜に三人で交わした言葉〜

 そのマユミナースと、今日の夜勤を最後に病院を去るという日の夜、三人で病室でお話ししたのは、3月22日(金)のことです。

「南の島で知り合いがいることになるなんて、遊びに行きたいな」
 ぽつんと何気なく言った私のひと言です。
「来て来て〜。リュウさん、バニラさん」
「行こうか!リュウ。案内してもらおうよ!」
「・・ウン・・」

 その時は、絵空事だと思っていました。
 今回の旅行の企画を知ったのが4月の末なので、この会話の時は、療養中の人の旅行もあるとは知らないのです。
 でも、もしかしたら、行ける日が来るかもしれないね、リュウ。

〜沖 縄〜

 この旅行の一日目の夕食のとき、私がほかの参加者の方に、どこに行きたいですか?とお聞きしたら、「沖縄がいいわ〜」と返答なさった方がいて、その時から、私の中に、なんとなく、「沖縄」が。
 旅から帰り、アロハ オラの空飛ぶドクターと行く次の企画が発表になりました。第二弾(2013/9/8-11)は、私たちが行った伊勢志摩方面です。第三弾以降は沖縄の企画もあるそうです。もしかしたら、リュウと私、沖縄でマユミナースと再会できるかもしれません。でも私たちは今年はもう無理で来年かな?

 沖縄旅行のメンバーは、空飛ぶドクターの坂本泰樹先生と、アロハ オラの江口優子さん。近畿日本ツーリストの和歌山支店の支店長さんは、私たちが行く直前に、沖縄支店に転勤してもらって、私たちを空港で出迎えてもらおうね。アロハシャツが似合いそうだものね。今回の旅行のバスの運転手さんは、新千歳発那覇行きの飛行機操縦してもらおう。串本節うたってくれたバスガイドさんは、沖縄のバスガイドに挑戦してもらってね。そうだねぇ〜、「ハイサンおじさん」うたってもらう?そうそう、何歳からでもやる気があったら、なんでもできるよ!うん。その方が刺激があって、あたまにはいいからね。あ、同じ入院患者のきんさんぎんさんにも行こうって誘ったから、きんさんぎんさん(ぎんさんは退院したあとまた一時入院しました)もね。マユミナースもひさしぶりの再会で、これまたよろこぶわ〜。

〜旅行で知った勇気〜

 今回の旅行のきっかけになった北海道新聞の記事を見たのが、4月末です。それをきっかけに、療養中のひとの旅行を考えてくれている人が、この世の中にいるんだと、初めて知りました。そしてその存在にびっくりしました。リュウが病気になって初めて知ることができたありがたい人たちです。

 そんなこと考えてくれている人がいるんだ・・・

 リュウの病気の進行とともに、私たち家族のレジャーの行動範囲も小さくなってきました。そんな中で旅行なんて、それも飛行機に乗る旅行なんて、想像もしていませんでした。でも、旅行に行けるんだったら、すごくうれしいし楽しい。それもお医者さんと看護師さんも一緒なんて。

 旅行!
 旅行に行く前に、ふたりであれこれ話せるし、帰ってからも、あれこれ感想を話せる。そして、また次の旅行が待っているんだったら、その旅行に向けて、また、あれこれ期待をふくらませることができます。
 リュウと私のからだの中に「旅行」という血管ができて、あたらしい血がながれ、それが、筋肉になる感じがしました。

 でも、こちらは療養中。参加する方も不安がありますが、企画をたて、実行する方、また、宿泊先や出先の食事先等、なにかトラブルがおこる可能性もあります。あらゆる場面を想定し、じゅうぶん承知のうえ、今回の旅行を協力して実行なさってくれたみなさんの勇気に深く感謝します。本当にありがとうございました。おかげさまでリュウと私、忘れられない一生の思い出ができました。

 ありがとう〜!

〜ありがとう!〜

 みなさん、ありがとうございました。
 リュウの日常を助けてくださっている看護師さん、介護福祉士さん、旅行の話題にも触れていただき、はげましていただきありがとうございます。リュウの理学療法士さんも毎日のリハビリ、ありがとうございます。旅のあいだじゅう、私の母のようにあれこれ心配してくださっていた看護師長さん、主治医Mドクターのやはり勇気のある決断もありがとうございました。
 ワタルが利用させていただいている事業所さんも、旅のあいだ、お世話になりました。ありがとうございました。
 私の勤めている会社も快く休ませてくださり、ありがとうございました。

 旅行に行くとみなさんにお伝えしてから、自分のことのように喜び、中には涙を流してくださった方もいた、みなさんありがとうございました。
 飛行機が羽田に着くのなら、リュウと私を空港で待っていて何かお手伝いとしたいと言って下さったFBで知り合った東京在住のS様の言葉も忘れられません。
 ほかに、メールを紹介します。

Yさまより(旅行記の一回目をアップした直後にメールいただきました)

日付:2013/06/11
件名:良かったですね。

旅行記、涙が出ました。FBでバニラさんと出会いました。出かけられて、本当に良かったと思いました。どんな人も、差別なく生きていく権利があるということをみんなにしってほしい。まずは、事故もなく出かけてこられて本当に良かったです。続きを待っています。ご家族皆様が元気でいられますように。。。

埼玉のWさまより(旅行記の一回目をアップした後にお知らせしたのぞみの会のメーリングリストでコメントいただきました)

日付:2013/06/13

バニラ様
旅行記、拝読致しました。バニラ様のご主人への愛情の深さ、そしてあのような旅行への参加を決断した勇気に深い感銘を受けております。ただただ”凄いな”と。この病気の初期、中期の方々がバニラ様に続くといいのですが。
今はバニラ様の勇気に乾杯です!

 勤労ちゃんはじめ、私のブログを見てくださっているみなさんも、応援してくださり、「いいね」もありがとう〜。

〜伊勢神宮の謎〜

 もうひとつ、どうしても書きたいことがあります。
 この旅行を終えての私の最大の謎、伊勢神宮のことです。
 2013年の今年の10月に、20年に一度の式年遷宮がおこなわれます。
 そのため、伊勢神宮のガイドさんは、いつにも増して、熱心に説明してくださっていました。
 式年遷宮は初めて聞くような言葉で、説明もすべて聞けたわけではないので、なぜ、そのようなことが行なわれるのか、わかりませんでした。
 部分的に説明を聞くと、「お金と時間をかけて、いっけんするとやる意味があるのかないのかわからないようなことを、ぜったいに守り続けて、やっている」という風に聞こえてきました。少々、乱暴な表現かもしれません。すみません。
 それを、特に感じたのが、ガイドさんがひとつの鳥居の前で、説明をはじめた時です。
「この鳥居は、20年に一度、はずされます。そうして、どこどこにはこばれ、そこに取り付けられます。そこも20年経ったら、またその鳥居がはずされます」
 ガイドさんは、私たちが目の前で見ている鳥居が、ほかの場所にぐるぐるまわっていくというようなことを、熱心に説明していました。私はそこで思いました。
「なぜそんなことするのだろう?鳥居は移動しないで、鳥居が老朽化したら、新しいのと交換するのが、お金も時間も節約になるのに?」
 そういう風に思いました。ほかの説明もそうで、お金と時間の節約のためには、どんどんシンプルにしたらいいのに、と思いました。
 そこまでが、伊勢神宮のガイドさんの説明で感じたことです。
 でもなんか腑に落ちなくて、旅を終えてからも、あれこれ考えていて、ある程度、自分で納得した考えが見つかりました。

 でも・・・、あれ?伊勢神宮のシステムをどんどんシンプルにしたら、伊勢神宮じゃなくなっちゃうんじゃないだろうか?ほかの神社もシンプルにするとなると、よけい、各神社神社の特徴がなくなって、どの神社か、差がなくなっちゃう。
 いや、ちがうわ、いっけん無駄なように見えるものが、無駄ではなくて、それは、伊勢神宮が伊勢神宮であるために、必要不可欠なこと?その神社の特徴は、パッと説明受けただけではわからないし、ましてや、説明受けてなかったらなおさらわからない、でも、伊勢神宮の事情というものがあって、それをやらないと、伊勢神宮が伊勢神宮じゃなくなっちゃうんだ。

 そういう風に思えてきました。

 ガイドさんの説明を聞いて思った「お金と時間をかけて、いっけんするとやる意味があるのかないのかわからないようなことを、ぜったいに守り続けて、やっている」というものの感じ方が変わりました。
 これって、人間にもあてはまります。
 ワタルは、自閉症という障がいでは、視覚に訴えるのが有効と、紙に写真等を貼ったものを持たせて学校でお出かけしたりしました。これは、いっけんわからないかもしれませんが、自閉症という障がいのあるワタルという人間の事情なのです。リュウは歩けるけど、車イスにも乗っています。これもリュウの事情。ほかにもリュウには、認知症という見えない症状もあります。
 そして、私たちのまわりには、いろいろな事情を抱えているひとがたくさんいます。パッと見ただけでは、その事情がわからなく、理解できないかもしれませんが、「お金と時間をかけて、いっけんするとやる意味があるのかないのかわからないようなことを、ぜったいに守り続けて」やらないといけないのです。その人がその人であるために必要不可欠なことです。

 そういう風に考えてから、伊勢神宮の式年遷宮などのシステムがえんえんと守り続けられてきていることが、有りがたく思えてきました。
 あらためて日本を再発見したような気持ちです。

↑五十鈴川にかかる宇治橋と向こうに見える大鳥居。

↑宇治橋の両側にこの大鳥居(7.44m)が立っています。この鳥居は、20年経ったら移されます。鳥居の説明が、伊勢神宮のホームページの内宮の説明のページの宇治橋の欄に載っていました。
 ここをクリックしてください


〜行くよ!〜

 リュウ、行こう、マユミナースに会いに、沖縄へ。
 最後に三人で会話したとき、マユミナースが言ってたよね。

「リュウさん、南の島の海岸で、かけっこするよ!今度こそ、勝負つけようね!」

 リュウ、あの日の夜、マユミナースと南の島の海岸で、かけっこの約束したよ。

 リュウ、行くよ、沖縄。


2013年8月4日(日)佐藤バニラ


 Special thanks to 坂本泰樹先生(Dr.Yasuki Sakamoto)、江口優子さん(Yuko Eguchi)、近畿日本ツーリスト和歌山支店、全日空、二見プラザ、伊勢神宮、志摩観光ホテルクラシック、那智ねぼけ堂、那智熊野大社、串本ロイヤルホテル、とれとれ市場

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 空飛ぶドクターの坂本泰樹先生のホームページ 旅行医学の「カノヤ・トラベルメディカ」(←クリックしてください)です。

 入院中の進行性核上性麻痺のリュウと多動と自閉症の個性を持つ次男ワタルとの日常を綴った私のブログ「やさしいまなざし」はここをクリックしてください。



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