空飛ぶドクターと行ったお伊勢詣りと和歌山熊野詣

入院中で車イス使用の進行性核上性麻痺の夫と新千歳空港から飛行機で旅行に行ってきました。

2013年5月22日(水)〜5月24日(金)


きっかけ>2出発前と持物
第一日目>4第二日目>5第三日目
旅を終えて>7車イストイレ>8風景写真集

※いま見ているページは、「第二日目」です。




第二日目

↑ おはよう〜!二日目5月23日(木)の志摩観光ホテルクラシック4階のお部屋から見える朝の英虞(あご)湾です。すばらしい眺め。今日もいいお天気。
 この写真を写した時間が6時26分です。朝食が7時からなのですが、この間にちょっとしたことが起こってしまいました。

 リュウは私の手助けで今日の身支度をととのえ、ベッドの裾のほうの真ん中から少し窓側の方に座っていました。私はリュウに背中を向けて、荷物の整理をしていました。何気なく振り向くと、リュウが立ち上がろうとして、でも左手がベッドから外れてしまい、転倒する瞬間が目に入ってきたのです。あっ!と思ってリュウに向かって走って行きましたが、リュウはベッドの横で尻もちをつき、そのまま後ろにころがり、置いてあったイスの木製の肘掛けに、ゴツンと頭をぶつけてしまったのです。いま入院中の病院で転倒が起こったら、すぐに私に報告があります。それくらい、転倒はおおごとなのです。
「大丈夫?」
 そう言うと同時に、私は緊迫した声で江口優子さんに電話しました。
「いま夫が部屋で転倒しました」
「すぐ行きます」と冷静な声の江口さん。
 江口さんが到着すると、江口さんから先生を呼びますと電話してくださいました。またすぐに坂本泰樹先生が部屋に来て下さいました。
 お二人で、リュウに痛いところはないかとか、あたま、腰などからだの状態を確かめてくれ、たいしたことはなさそうとのことで、様子をみましょうということに。
 よかった〜。
 私がいながら転倒が起こってしまい、反省しましたが、何ともなさそうでよかった。それにしても、お医者さん看護師さんがいたから、私も比較的落ち着いていたけど、いなかったらすごく動揺していたと思います。この時は本当にお二人が心強かったです。




↑朝食会場です。昨日は貸し切りのお部屋でしたが、今日はまた雰囲気がちがいます。ここも格式が高い感じがしました。私たちが座るテーブルは予約席になっていて、広くなっていました。
 そして窓の外には、英虞湾が見えました。

↑朝食のメニューです。和食と洋食から選べます。リュウは刻み食のため、本人の希望で和食と事前に伝えていました。刻み食は手間がかかり、すぐには対応できません。私はこの時選んだのですが、リュウと同じ和食にしました。ここをクリックすると上の写真が大きくなります。

↑こちらは私の普通食。小鉢がかわいいです。

↑こちらはリュウの刻み食。私の内容と少しちがいます。私に入っている左側にある魚がリュウにはありません。この魚は刻んでも飲み込みづらそうです。がんもどきもありません。真ん中は梅干しをすりつぶしたもの。緑のお豆もすりつぶしてありました。

↑ご飯は、リュウは「薬膳粥」。ほんのりピンクです。たしか古代米か赤米かの色です。

↑お味噌汁は、赤っぽい味噌。北海道は、白っぽい味噌なので、色が違います。
 左のじゃこも、右のひじきも刻んでありました。その真ん中にあるのは、生湯葉。生湯葉もサイコロ状に切ってあります。

↑リュウの薬膳粥のアップ写真です。

 さあみなさん(?)、ここまでの朝食の写真で気付いたことがありますか?
 私はリュウと同じ和食を頼みました。リュウは刻み食であらかじめ予約をしてあったので、すぐに一気に運ばれてきました。デザートが二品写っています。フルーツをベースにつくられたような赤いソースがかかった黄色いデザートと、ヨーグルトです。私も運ばれてくるのだろうとずっと待っていました。でもなかなか運ばれてこない。同席していた同じ和食を食べていた方にも運ばれてきませんで、そのうち席を立ってしまいました。私は心の中で、待って!まだデザートが!と叫びました。声に出して言うには、恥ずかしかったからです。その後も私は根気よく待ち続けましたが、いっこうに運ばれてくる気配がありませんでした。しびれを切らし、近くをとおった女性のスタッフの方を、
「あの!すみません!」
と大声で呼びました。でも次に出てきたセリフが、「デザートまだ来てないです」ではなくて、「お水ください!」という自分の意に反したものでした。お水が運ばれてきました。すると、スタッフの方がついに気が付きました。
「あ!お客様のデザートまだでしたね、すみませんでした。今すぐお持ちします」
というのは私の妄想であり、スタッフの方は表情ひとつかえないで、私の目の前にお水を置いて行き、向こうに行ってしまいました。
 ここでまた、思いました。

 リュウにだけ、デザートを出してくださったんだ。それも二品も。刻み食というハンディのあるリュウにだけ。私は、ここの朝食会場のレストランの名前を確認できたのは、この第二日目を書くにあたって、江口優子さんに確かめてからです。ここのレストランも昨夜と同じ「ラ・メール クラシック」でした。昨夜は、貸し切りで雰囲気がちがい、また朝食は和食であるため、同じレストランだとわかりませんでした。ラ・メール クラシックのシェフに深く感謝します。ありがとうございました。




↑志摩観光ホテルクラシックを後にします。朝食後4階のエレベーターの前の絵画の前で、私がリュウの記念写真を写しました。とてもいい表情で、看護師長さんが「この笑顔見れただけでも旅行に行けてよかった」と言ってくださった写真が写せました。
 志摩観光ホテルクラシックのみなさん、いろいろありがとうございました。

↑「KNT!空飛ぶドクターと行くお伊勢詣りと和歌山熊野詣様 近畿日本ツーリスト」のバスの表示。さあ、熊野に向けて出発です。8時半です。

↑10時にトイレタイム。ここは、道の駅「紀伊長島マンボウ」(三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島)です。
 私は食べなかったのですが、のぼりに「マンボウの串」とあり、え?マンボウって食べられるの?と、びっくりしました。その時焼いてなかった気がして、実物は見ていないのですが、私の想像は、ちっちゃ〜〜い赤ちゃんマンボウが並んで串に刺してあるのかな?というもの。たぶん、というより、確実にちがうと思いますが。
 ※マンボウの串焼きは、土日祝のみ露天で販売のようです。

↑11時すぎ、ふたたびトイレタイムに三重県熊野市有馬町の道の駅みたいな施設「お綱茶屋」に寄りました。去年できたばかりの施設で、総檜作りの施設です。建物も和風ですてきでした。これは、身障者用トイレののれん。すてきで写真に写しました。
 トイレから出てくると、独特の声を発した子どもたちのいっこうが向こうに見えてきました。すぐに自閉症とかの発達の障がいのある特別支援学級かの子どもたちとわかると同時に、親しみを抱きました。下の子ワタルを連想したからです。
 今ごろどうしているかな?今日は木曜日だから、この時間は養護学校高等部でお勉強中だけど。と思いました。

↑ここで「お綱茶屋」からとなりにある世界遺産「花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)」に向かって歩いて行きました。リュウは車イスに乗るかどうかと聞いたら、「歩く」とのことでした。
「こんな緑いっぱいのところ、ふたりで歩くなんて久しぶりだね〜!」と私。
 自然の気をからだじゅうにいっぱい浴びながら、私がリュウの腕をささえ、ふたりで歩きました。
 幸福な時間でした。

↑ご神体の岩のところに、無事に着きました。イザナミノミコトが祀られています。バスガイドさんが、ずっと説明をしてくれていました。

↑ご神体のよこに「絵馬石奉納所」という立て札のところがあり、白いまるい石がたくさんありました。よく見るとひとつひとつに願い事が書かれています。ご神体のくぼんだところとかにも、そのまるい石が。いろいろなところに、その絵馬石がありました。

↑こういうのを目にすると、「たいへんな思いをしているのは、自分たちだけではないんだ」という風に思います。

↑花の窟神社の参拝もおわり、ふたたびお綱茶屋の前を通りました。総ヒノキの建物がすてきで、江口さんに写真を写してもらいました。
 リュウは私より背が高いのですが、リュウ独特の前傾姿勢のため、私より低く見えます。私が出会った頃も猫背気味でした。また、このリュウ独特の前傾姿勢が、後屈の姿勢の進行性核上性麻痺ではなくて、前傾の姿勢のレビー小体病かと、私は診断が出る前に、あれこれ考えていました。

 さあ、次は、昼食を食べに、和歌山那智勝浦にある那智ねぼけ堂へ。三重県から、和歌山県へ行きます。
 北海道は10時間以上車で走ってもたどり着いたところは北海道内なので、違う県に行くという感覚はよくわからないというか、経験がないことです。

↑創業嘉永元年の菓子処、「那智ねぼけ堂」に着き、昼食です。こちらは、私の普通食。まぐろ釜めしです。生まぐろ水揚げ高日本一という和歌山県那智勝浦港からのまぐろを使ってのものです。「大門坂」というお菓子も付いていました。
 「那智ねぼけ堂」では、手づくり黒飴や、黒飴を利用したお菓子などがありました。ガラス張りになっていて、鈴焼きなど、お菓子を作っているところを目にしました。

↑こちらがリュウの刻み食。釜めしの器があるのですが、中身はお粥です。しかし普通の白いお粥ではなく、地元の人がよくいただく和歌山名物の茶色い茶粥というものです。お店のお心遣いです。感謝。
 さらに、せっかくだから、勝浦港のまぐろの釜めしも味わえないかな?と思い、飲み込みを確認しながら、私の釜めし、リュウに食べてもらいました。

 病院で私が食事に付き添う時、食べることもリハビリのひとつと考えていて、あまり手助けしないようにしていますが、旅行ではストレスなく食べて欲しいと思い、私も様子をみながら積極的に手助けをしました。旅行中の食事ですが、全体を通して、三割くらいが自分で食べ、七割くらいを私が手助けしていました。ほぼ、全食完食していました。

 昼食が終わると、観光バスから小型車に乗り換え、那智山に向けて出発しました。ここから、専門の女性のガイドさんも一緒です。





↑左は「大門坂」という看板。右側にコンクリートのカーブが写っているのですが、ここは道路が走っているところです。大門坂は、那智山にある熊野那智大社の参道です。足が不自由な方は、下からの参道はあがれませんが、この道路の脇にくるまを停めて、道路から三段くらいどうにかあがると、参道の景色を楽しむことができるのでした(車イス用のスロープがあったら、いいな〜と思いました)。
 リュウも前後ささえてもらい、ヨイショヨイショと、この石畳のうえにあがりました。私もリュウに続いてあがりました。
 そして〜、

↑下を見ると、石畳の階段が。下から上にあがってくる小さい参拝客の姿が。

↑横を見ると、存在感ある樹が(この写真は私が石畳の階段を移動して写しています)。

↑のぼりの方向を見たところです(この写真は私が石畳の階段を移動して写しています)。

↑こちらものぼりの方向(この写真は私が石畳の階段を移動して写しています)。
 ずっとずっと石畳の階段が続いています。この写真ではよくわかりませんが、ちっちゃく参拝客の姿が写っている写真も写しました。

 私は、リュウに続いて、この石畳にあがり、風景を確認すると、とたんに興奮してしまいました。まず、どこかで見たことある!と第一声。映画?テレビ?ポスター?そして、空中にドアがたくさん見え、そのドアを開けに行きたくなり、リュウに「写真うつして来ていい?」とことわり、写真をうつしに行きました。まず、ひとつめのドアです。ドアを開け、あたりを見渡しました。写真をうつすいい構図を探すためです。でも、すぐに、構図は関係ないとわかり、圧倒され、感動しました。構図がすべて完成されていて、完璧でした。不完全なものがなく、この世のものとは思えません。木々の肌いろ、葉っぱのいろ、木もれ日の感じ、石畳の階段。独特の雰囲気で、そのお部屋にまるで、人格があるようでした。でも人格とは変で、風格?いや、人格としたら、どなたでしょうか。暗さや陰湿さはまったく感じなくて、だれかに包み込まれるようなあたたかさを感じました。これが世界遺産!いや世界ではなく宇宙遺産だ。私は興奮しっぱなしでした。
 そうして、自分のからだを移動させて、次のドアを開けて、またあたりを見渡してみました。すると、また、完璧だと気付き、またさっきとちがう包み込むようなエネルギーを感じました。
 また自分のからだを移動させて、次のドアを開けました。またちがう人格(?)を感じました。どのお部屋にもそれぞれ「意思」と確かな「存在感」があり、私は全身でそれを受け止める度に、その迫力にワッとなりました。
 あまりにも興奮して、われを忘れ、リュウのことも、昨日の赤福のことも頭になかった瞬間でした。
 そのことを察したリュウが、

「おお〜〜〜〜い!お〜〜〜い!」

と私の名前を呼び、おいかけてきました。実際に、呼んだのはリュウをみていてくれた江口優子さんなのですが、江口さんが代弁し、江口さんにささえられながら、リュウがおいかけてきました。
 私は、われに返りました。
 「リュウ、すごいね!すごいね!絵画をみているみたいだね!」
と私が言い、一緒に石畳の階段に座って休みました。
 その石畳のアップの写真も写したのですが、ミクロの世界まで完璧で、そこには小宇宙が写っていました(「風景」のページにアップ予定です)。
 その後、ふたたび車に乗り込み、那智山へ。

↑やったー!那智山の神社とお寺があるところに到着です。向こうに那智の滝が写っています。
 こんな山の上の方に、難病のリュウと来れるなんて、本当に信じられない!

↑「延命の水」がありました。この水は「那智の滝」からのものだそうです。

 

↑リュウ、延命の水を飲むことに挑戦です。ひとりで立っています。すぐ横には、江口優子さん。隣の手が江口さんの手です。江口さんも延命希望です。

↑出てくる水を確認し、ひしゃくにその水を入れることができました。手前に持ってきて、

↑左手をそえて、

↑水が入ったひしゃくを口まで運ぶことができました!その後、しっかり水を飲みました。江口優子さんにつづき、リュウも延命決定!やったー。

↑熊野那智大社。那智の滝近くより遷座されたのだそうです。

↑こちらは、那智山青岸渡寺。熊野那智大社側から写しています。

↑「世界遺産」を記してある石碑。

 ここの那智山ですが、熊野那智大社、那智山青岸渡寺のすぐ近くまで、からだの不自由な方や特別な事情の方が通行することができる神社防災道路という有料道路を経由して行きました。しかし、そこからはすべてがフラットというわけではなく、車イスのまま移動するとなると、何段かの階段があり、すべてをまわるには困難です。上の那智山青岸渡寺を写した写真手前に階段が写っています。その写真は、熊野那智大社側から写しました。
 リュウは車からおりると、本人の希望で、車イスには乗らず歩いて移動しました。階段はささえてもらいながらあがり、お寺の前、神社の前と移動することができました。他の参加者のみなさんも見守られながら階段をあがり、那智山を堪能されていました。
 熊野那智大社だけ行くには、エレベーターがあるようで、そこには車イスの方も行くことができます。熊野那智大社前へのエレベーターについて詳しくは、熊野那智大社のホームページ(←クリックしてください)をご覧いただき、コンタクトを取っていただきたいと思います(個人旅行の方)。

↑那智山をあとにし、なんと、日本一の落差を誇る「那智の滝」の目の前まで行くことができました。
 駐車場の奥に、鍵がかかった門があり、インターホンを押して、支店長さんが事前に伝えていた者であることを告げました。そして鍵を開けにあらわれたのは、社務所の宮司さん。普通の滝ではなく、ご神体なんですね。滝の観光気分でしたが、宮司さんを拝し、私は襟を正しました。そして支店長さんがみなさんの分の参拝料を払っていました。そこは車イスで通行できるスロープになっていました。リュウは最初歩くと言っていたのですが、江口さんが「結構長いです」と言い、車イスで移動しました。車イスで正解でした。那智の滝の近くまで行き、その迫力を体感することができました。
 私たちが通ったこのスロープですが、神事につかう特別なもの?どなたかがつかう特別なもの?などと、そのときも、旅を終えてからも、私はあれこれ考えました。那智山では、この那智の滝がなくては、さきほど行った熊野那智大社、那智山青岸渡寺は建立されていなかったのです。本当に本当に重要な滝なのです。私たちはこの立派な迫力があり、神聖な滝を間近に見ることができ、よかったです。
 ほかのみなさんも、滝の近くで、とても満足げな表情をされていました。
 那智の滝への車イスでの行き方も熊野那智大社のホームページ(←クリックしてください)をご覧いただき、コンタクトを取っていただきたいと思います(個人旅行の方)。

 その後、那智ねぼけ堂に行き、観光バスに乗り換え、第二日目の宿泊先に向かいます。

↑宿泊先近くの観光地、「橋杭岩」。和歌山県串本町にあります。一直線の奇岩が海に並んでいます。この時間は、17時09分。

↑弘法大師伝説も残る和歌山県の名勝「橋杭岩」。夕方。第二日目が暮れます。

↑二日目宿泊先の「串本ロイヤルホテル」に無事着きました。広いお部屋です。感激。

↑お部屋の窓からは、「橋杭岩」が。
 リュウ!見て見て!さっき見た「橋杭岩」だよ!

↑広々としたベッド。ホテルの浴衣の上に、折り鶴が置いてありました。外国の方がたくさん宿泊されているのでしょうか。こちらのベッドも壁との隙間があり、リュウが寝る際、壁とのあいだに落ちないように、手伝ってもらい壁にくっつけました。

 ホテルについてすぐ、露天風呂から「橋杭岩」が見えるということで、予定していた大浴場にリュウは挑戦しました。日が沈む前にです。
 介助は、坂本先生と支店長さんお二人です。しかし、からだは洗っていただきましたが、内風呂、露天風呂ともに、リュウは恐怖心に勝てず、入れませんでした。いま、病院では、機械浴で、寝たまま入っています。もう一年くらいその入浴方法で、立って歩いてお風呂に入っていき、しゃがんでからだを沈めるという普通のなんでもない入浴方法が、リュウには普通ではありませんでした。旅行ということもあり、入れるかな?と期待していたのですが。
 坂本先生と支店長さんも、リュウに声かけしてくださったり、本当にありがとうございました。男風呂の露天風呂から、私がいた女風呂の露天風呂にかすかに声が聞こえてきていました。
 でも、気心が知れた私だったら、入ってもらえる自信があります!




↑串本ロイヤルホテルの日本料理「熊野灘」でいただく夕食。こちらは、私の普通食。まずは前菜「季節の前菜五種盛り」と、造り「海の恵み五種盛り」。日本料理のコースになっています。手前前菜の真ん中の黄色い丸いのは、じゃがいもで種類は「インカのめざめ」とのことです。「北海道のみなさんようこそ」と歓迎された気持ちになりました。

↑こちらがリュウの和食です。

 私は、最初に出てきたこの写真のリュウの刻み食の和食に、大げさかもしれませんが、心を奪われてしまいました。私に出されたものよりも印象的に思ったのです。食事の下に敷いてある紙に、串本節の歌詞の一部が書かれていました。

 ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船
  潮の岬に灯台あれど 恋の闇路は 照らしゃせぬ
   一つ二つと橋杭たてて 心とどけよ 串本へ

 今回のバスガイドさんは、串本にお住まいとのことで、バスの中でこの「串本節」をうたってくださいました。そのうたの歌詞がまた目の前に。きっとあのガイドさんは、小さい時からこのうたを聞いて育っていたのだと思います。
 紙に印刷された筆文字の「串本節」から、色とりどりの小鉢、それがきれいに並べられ、そこに盛りつけられたお料理、配色配膳繊細さ、すべてがこれこそ日本の和、そして和歌山の伝統、という風に感じ圧倒されました。
 それと同時に今日の午前中からのシーンが頭の中に浮かびました。「花の窟神社」は日本最古の神社といわれ日本書紀にも出てくると聞いたり、熊野那智大社は、一度織田信長によって焼き討ちにあったが、豊臣秀吉が再建した、と聞いたり。串本では、弘法大師が出てきたり。北海道の観光では、そうそう出てこないであろう日本の歴史上の人物の名前や単語が普通にたくさん出てきていました。
 北海道は現在に向きあう観光だとしたら、和歌山県、三重県は過去から現在に、現在から過去に向き合う観光で、それは北海道が真似しようにもなかなかできないことです。
 それから、難病のリュウを夫にもつ私たち夫婦が、大門坂の石畳のうえにあがり、その先の高いところにある熊野那智大社、那智山青岸渡寺の近くまで行き、そのあと、那智の滝に行けたことは、なかなかできないことであり、これこそ実績のある大手旅行会社のお陰ではないかと、思ったりで、もう胸がいっぱいでした。
 そのため、この写真を写したあとは、他のお料理の写真はあまり写していません。あと、メニュー表(お品書き)も欠けたものしか写していませんでした。

↑蓋物「穴子白和え蒸し 菜の花と筍の餡かけ」。こちらは私の普通食。

↑蓋物「穴子白和え蒸し 菜の花と筍の餡かけ」。こちらはリュウの刻み食。

↑私の方のデザート「季節のデザート」。

↑リュウの方のデザート「季節のデザート」。緑のお豆がなく、スポンジ、苺は刻んであります。






 胸いっぱいの夕食もおわりました。第一日目と同じようにマクラを二つお借りし、リュウは頭を高くして、就寝してもらいました。
 わたしたち初めて和歌山県で寝ます!それではおやすみなさい。



 

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きっかけ>2出発前と持物
第一日目>4第二日目>5第三日目
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   江口優子さんの会社 ALOHA OLA(アロハ オラ)のホームページはこちら(←クリックしてください)です。
 空飛ぶドクターの坂本泰樹先生のホームページ 旅行医学の「カノヤ・トラベルメディカ」(←クリックしてください)です。

 入院中の進行性核上性麻痺のリュウと多動と自閉症の個性を持つ次男ワタルとの日常を綴った私のブログ「やさしいまなざし」はここをクリックしてください。



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