パン君とりー坊、その仲間のストーリーです。 |
2012年4月〜
|
1もくじと主な登場人物に戻る。 |
次のページの22第4回ハゲ増す会へ。 |
今から30年以上前のこと。 私は南風南高校に入学が決まり、制服を買いに行くとお店の方でサブバッグを付けてくれた。 家に帰って見てみると、半円形の結構大きなバッグで、紺色の地に白い文字で「MADISON SQUARE GARDEN」と印刷されている。 このバッグはマジソンバッグと呼ばれるがみんなにも同じように渡されたようだ。他校の生徒も持っていたし、入学前からもよく見かけるあたりまえのバッグだった。 私の手にも渡ったけど、ちっとも新鮮な感じがしない。 教科書は黒い学生かばんに入れ、体育のジャージはこのマジソンバッグに入れて学校に持って行った。 私は高校の掲示板で「マジソンバッグって知ってる?」とふいに質問したことがある。すると、7期生のひで君は知っていて、まりえちゃんは知らなかった。8期生からはわからないようだった。 空気のようだと思っていたマジソンバッグって、知っている世代と知らない世代があるんだ〜。 その後私は会う色んな人に「マジソンバッグって知っている?」と質問した。 知っている人は、「知ってる知ってる〜〜!学生の時持ってたよ!」と反応した。 知らない人は、「なにそれ?」という感じだった。 ただの質問だったけど、「マジソンバッグ知ってるか知らないか」で、「世代」ってあるんだ〜と実感できた。ちなみに1960年代生まれまでは知っていて、1970年以降に生まれた人は知らない可能性がある。 この「世代」のことだが、飲み会で7期生の卒業アルバムを見せてもらったことがある。女子がみんな、おたふく風邪の時するような包帯をあごの下から頭のてっぺんに巻いて結んでいた。というのは見間違いでよく見ると、髪の毛の内側、後頭部のところからリボンを巻き頭のてっぺんのちょっと横の方で結んでいた。それが流行っていて女子はみんなそのリボンをしていたそう。まりえちゃんもしていた。 私の世代はわざと服を裏返しに着るもの流行っていた。私は勇気がなくてやらなかったが、トレーナーを裏返しにして着た姉が電車に乗り、隣に座った年配の女性に、 「裏返しに着ていますよ」 と注意されたと家に帰ってきてから私に教えてくれた。 世代ってその時代の中にいるとそれが当たり前だし、その時代の外側から見ると意外な感じがするなぁ。 私が高校時代は、1980年初頭。マジソンバッグ以外に、松田聖子の「青い珊瑚礁」やシャネルズの「ランナウェイ」、ダリル ホール&ジョン オーツの「プライベート アイズ」、シカゴの「素直になれなくて」、横浜銀蝿、YMO、竹の子族、なめ猫、ルービックキューブなどが流行っていた。 友だちの家に行ったら、YMOの「ライディーン」で踊って見せてくれた。反復横跳びを速くしたようなその踊りは、みんな共通らしい。 あと、在学中に五百円紙幣から五百円玉に変わった。 部活が終わり、お腹が空いて、高校の向かいにあったプレハブの若葉商店にみんなと食べ物を買いに行った。そこで新しく発行された500円玉を初めておばさんに出す時、硬貨だと500円の価値が下がった気がするとみんなで話した。500円玉を手の上に乗せ、表にしたり裏にしたり、珍しそうに眺めた。 さて、つっぱりグループばかり先生を困らせていたようなイメージがあるが、私も事件(?)を起こしたことがある。 ある科目の試験に「感想文」もあり、自分なりの感想を書いたら、その感想に点数を付けられたことがどうしても腑に落ちない。 そこで私は職員室へ行き、直接その先生におかしいと言いに行った。でもどうにもできなかった。私はくやしくなりその場で涙が出てきてしまった。 教室に戻ると、サラが私の様子が変なのに気が付いて、「どうしたの?」と聞いてくれたので、かくかくしかじかでと言った。するとサラが、 「どうして私に言ってくれなかったの?私も変だと思ったの。言ってくれたら一緒に行ったのに!」 と言った。びっくりした。私だけがおかしいと思ったんだと思ったが、サラもそうだったんだ。でもそれは口に出さないとわからないんだ。 サラの言葉が嬉しかった。今度はうれし涙を流しそうだ。 でもやっぱりつっぱりグループの方がノーマルグループより明らかに目立っていた。校則は守らない。カバンはぺちゃんこ。制服も改造していた。 制服検査というのがあり、体育館に一列に並び、先生がものさしを持って、スカートの長さとかを測っていった。 みんな緊張。みんなの緊張感が私とサラにも伝わり、私たちも緊張。出席順に並んでいたから、私のすぐ後ろにサラだ。先生が前から順番に歩いてきて一人一人チェックして来た。 「次は私だ!」 その瞬間、先生が素通り。うしろのサラも素通り。ありゃ。私とサラは、目と目を合わせ苦笑いした。 制服検査の時はつっぱりグループも引っかからないように工夫していたけど、普段は女子はくるぶしも隠れるくらいスカートが長く、男子はボンタンのズボンをはいていた。 まゆ毛も細くて、剃り込みも入れていて、人相も悪い。 うん。つっぱりグループは目立っていた。 先ほど姉が登場したので高校時代の忘れられない話しを。 室蘭に老舗の和菓子屋さんがあり、そこで売られている「馬糞饅頭」が美味しいと評判で買いに行きたいから一緒に行こうと姉に誘われたことがある。 二人で電車に乗り、室蘭駅まで行き、その和菓子屋さんを探し、ガラガラと引き戸を開け中に入った。そして並んでいた和菓子を見たけど、どこを探しても「馬糞饅頭」と書かれた商品が見当たらない。 姉がそこにいた女性の店員さんに聞いた。 「馬糞饅頭はどこにありますか?馬糞饅頭買いに来たのでください」 するとその店員さんは明らかに顔をしかめ、だまってトングを取り、それらしきものをつまんだ。 「おいくつですか?」 私たちは、店内の雰囲気がいっぺんした感じがした。その理由もなんとなくわかり、無事にお饅頭を買いお店の外に出てから、ほぼ同時に声を出した。 「馬糞饅頭ってちゃんとした名前があるんだね!ただお客さんの間でそう呼ばれているだけなんだわ!」 二人で猛ダッシュで走って帰りたい気分だった。 恥ずかしい記憶って結構はっきり残っているものだ。 これは入学してすぐのことだ。先生から指名されて私は黒板の前に立ち、書記をすることになった。クラスの委員決めだ。先生が「何々係りの立候補か推薦はないか?」とみんなに聞き、「誰々がいいと思います」というのを書き留める仕事だ。その時のこと。 「よもんくんがいいと思います」 誰かが言ったので私は黒板に、 「興門君」 と書いた。すると、 「こうもんって書いてるぞ!」 と小さい声で男子が教えてくれた。私は慌てて黒板消しで消し、確認し、 「與門君」 と書き直した。すごく恥ずかしかった。入学してすぐだと、色々な中学から入学してきている知らない人ばかりで正確な人名を把握するのは難しいよ。 南風南高校は新設校で私たちは二期生。入学した時は3年生は存在していなかった。それに、三期生からは6クラスだが、一期生は2クラス、二期生は3クラスとクラスを少しずつ増やしていったため、1年生の時は空き教室がたくさんあった。その空き教室になぜか卓球の台が置いてあり、休み時間に卓球をした。 そんな1年生のある日、ちょっとした事件が起きた。担任の先生が深刻そうな顔をして、ホームルームで話し始めた。 「この教室から近い廊下の消火器が一つ無くなりました。心当たりがある人は先生に言うように」 消火器がなくなった?どうしたんだろう? 私たちは気になったけれどわからないからどうしようもなく何日か過ごした。それにあまり気にしていなかった。でもその後、噂が伝わってきた。 「この前の消火器、犯人がわかったんだって!やまちゅうが消火器をマジソンバッグに入れて持ち帰ったらしい。先生に自分が持って行ったと白状して、また持ってきたらしい」 そ、そうなんだ・・・。な、なんで持ち帰ったんだろう?それに、学校の消化器ってマジソンバッグにすっぽり入るんだ。いや、マジソンバッグなら、入るか。消火器を入れて持ち歩くには丁度いい大きさ? この出来事は「やまちゅう事件」として、みんなの記憶に残ることになった。 今もマジソンバッグを思い出す時、この「やまちゅう事件」を思い出す。 そうして、可笑しくなる。 クスッとなる。 その瞬間、清流に向かって手に持っていた葉っぱをパッと散らし、流れて行く葉っぱを見るように、一枚一枚の葉っぱに乗った当時の思い出が私の頭の中をゆっくりと流れていく。 ↑こちらは絹目の黄色いミニマジソンバッグ。掲示板で話題に出した後、懐かしくなりオークションで検索。かわいいので落札しました。 ※この記事のアップ後、A君とパン君から、消火器をマジソンバッグに入れたのは、やまちゅうじゃないと連絡がありました。ご本人にも確かめたいので、やまちゅうは私宛にメールください。待っています。 |
2015.2.14 Vanilla記 |
このページの一番上へ▲ |
このページの感想は、Cafeつぶ庵(掲示板)までどうぞ。 入院中の進行性核上性麻痺のリュウと多動と自閉症の個性を持つ次男ワタルとの日常を綴った私バニラのブログ「やさしいまなざし」はここをクリックしてください。 |
Copyright (C) 2003-今年 Vanilla Web Site All rights reserved. |