ハゲ増す会始動する!

パン君とりー坊、その仲間のストーリーです。

2012年4月〜


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「Yahoo!掲示板」の思い出



 今はなき「Yahoo! 掲示板」の北海道の道南カテの「南風南高校への卒業生集まれ!」は2001年1月に私の思い付きによって開設された。
 その頃のパソコンのインターネットへの接続料金は従量制で、つなぎっぱなしというのがなかった。
 夜の11時から一定料金でつなぎ放題になる「テレホーダイ」というのがあり、11時近くになるともうなかなかインターネットに繋がらなかったので、私はその時間は避けた。
 インターネットへの接続もダイヤルアップで、スピーカーから「ガガガガ〜ザーザー」という何とも言えない音がした。
 YouTubeにその音がアップされているので聞いてみて欲しい。

 http://youtu.be/WflkFUY9pHI

 動画はプッシュ音で、うちはジーコジーコというダイヤル音だった記憶がある。
 バニラ家は、なるべくお金をかけないようにとプロバイダーも「ベッコアメ」という無料のにした。ベッコアメはべっこう飴が連想されて私は気に入ったプロバイダー名だった。

 掲示板の当初のおもなメンバーは二期生の私の年賀状やり取りのダンシとジョシ5名だ。
 ダンシはパン君とりー坊。ジョシはサラ、りこちゃんに私。パン君とりー坊はつっぱりグループで、サラ、りこちゃん、私はノーマルグループ。りー坊は南風南高校の裏の番長だ。
 掲示板は卒業生対象だったので、開設されてから他の卒業年の人も参加してくれた。五期生のタム君も参加してくれた。
 ある日のことだ。あきらかに表の番長のタニザキと思われる人が掲示板に書き込んできた。なぜ、タニザキとわかったかと言うと、普通YahooIDは、本名とわからないものにするのだが、タニザキは本名を連想されるものだったのだ。書き込む内容もタニザキに違いなかった。

「タニザキが掲示板に来た!」
「タニザキが掲示板に来た!」

「どうしてここがわかったの?」
「誰か呼んだ?」
「えっ、誰も呼んでない?」

 水面下で噂になった。タニザキが書き込んでちょっとたった時、タム君が次のことを書き込んだ。

「自分はタニザキに殴られたことがある。それも面識もなく、ただ道路を歩いていてすれ違った時。中学の時。その時すごくショックだった。今もその時のことの傷が癒えていない。もう掲示板にも来ない」
と。

「どうしよう!」
「どうしよう!」

 水面下でみんなで困った。そこで、会議を開くことになった。会議とは、「Yahoo!メッセンジャー」で日時を決めて話し合うことだ。「Yahoo!メッセンジャー」とは、今で言えば LINEグループみたいに複数の人が一つの画面にメッセージを書き込むことができるツールだ。その懐かしい「Yahoo!メッセンジャー」も今は無い。

「よし、何月何日の何時にみんなパソコンの前に座って、メッセンジャー立ち上げて、会議をしよう!」

 会議の日が来た。

 ところが、私は会議の日に眠って出なかった。最初っから最後まで。

 あとで、パン君がカンカンになっていたことを知った。ごめんなさい。

 結局会議はしていなくて、対策も立てることもしなかったのだが、なんとなくタニザキの書き込みの受け答えをできる人がいなくて、タニザキはそのうちいなくなってしまった。

「メッセンジャーのソフトがインストロールができない」

とタニザキがいなくなる間際に書き込んだ。
 私はこれを読み、話し口調も巻き舌っぽいが、書き込みまで巻き舌風なのかと驚いた。

「インストロールのタニザキ」
「インストロールのタニザキ」

 水面下でしばらくそう噂になった。

 その後タム君は戻って来た。

 「Yahoo!掲示板」には他にも思い出がある。

 毎年4月1日のエイプリルフールの早朝に私が「宝くじに当たった」とかの嘘を書き込むと次の人が必ず「えっ!すごい!」と騙された。次の年のエイプリルフールでもそうだし、毎年そうだった。それを見て「みんな騙されやすいな」と毎年思っていた。

 あと「Yahoo!掲示板」と言うのは書き込みがあるとそのカテゴリーの一番上に表示され、書き込みがないとどんどん下に下がっていき、一番下になって何日か経つと消えてしまった。なので消えないようにメンバーの誰かが上に上げた。それに道南カテにはややこやしいトピがあった。「高校野球ナントカ」というトピで常に一番下に表示されていて、誰も書き込まないのに消えないのだ。「幽霊トピ」だ。まだ下に「高校野球ナントカ」というトピがあるから消えないと油断していると、下から二番目のトピからなくなっていった。要注意である。
 トピが消えないように上に上げておくという作業はけっこう大変だった。でもYahoo!掲示板には「トピ上げ屋さん」と言って、消えそうなトピを上げていくそれ専門の人がいて、その人に助けられたこともある。

 それから「一周年おめでとう」と書き込む専門の人もいて、掲示板が1年経つ毎に、毎年じゃないけどやっぱり見知らぬ人がアスキーアートで「一周年おめでとう」と書き込みしてくれる人がいた。

 変わったところで「打ち上げ花火師」という人もいた。これは、自分たちのトピックに何月何日の何時に「誰々のお誕生日おめでとう」の花火打ち上げてくださいとお願いすると、依頼した日にお誕生日おめでとうのメッセージとともに、巨大なアスキーアートで花火を打ち上げてくれたのだ。

 そう言うわけで、私たちのトピックは卒業生を限定にしていたけど、Yahoo!掲示板の見知らぬ人にもずいぶんお世話になった。

 私は2001年の1月と言えば、次男ワタルは3歳。多動もすごかった時期だ。出かけたりするのも一苦労。うちでワタルが眠ったときとかに、ちょっと時間ができるとパソコンのスイッチを入れて、掲示板に書き込みをするひとときは息抜きタイムだった。
 掲示板スタート時はサラも子育てで看護師をお休みしていた。パン君とりー坊はバリバリ仕事をしていたけど、家族でキャンプにもよく行っていて、そこから書き込みもしてくれた。
 タンクはよく薪を割っていた。
 アシモ夫妻は最初関東に住んでいて、書き込みから季節の違いがよくわかった。
 ひで君は出張が多く、日本中から書き込んでくれた。その時は「スナフキンをしている」と添えてあった。やっと自宅に戻りパソコンの前に座り書き込み、パソコンから離れる時は「ではでは冷蔵庫探検に行く」と書き込んだ。
 まりえちゃんは、腰が痛くなり一回手術したことがあった。心配した。でもその後は大丈夫なようだ。
 ピグちゃんも子育ての合間にほんわかした書き込みをしてくれた。

 みんな大したことは書き込んではいなかったけど、ずいぶん長く続いた。掲示板のみんなと年に一回は会って飲んだ。

 パンくん、りー坊、サラ、りこちゃん、甲斐君、リエママ、ヒソカちゃん、リズムちゃん、カゲ、ヒロ、タンク、タム君、なつめさん、さとやん、キムチさん、とんもちゃん、ウルさん、アシモ夫妻、ひで君、まりえちゃん、ありすちん、くるりーな、ジュジュ、ピグちゃん、ジャスティーさん、のりさん、ササさん他にも参加してくれた。



 最後に私が忘れられないシーンをひとつ。

 その日は満月の夜だった。きれいな月だ。宴会をしようと言うことになった。
 色々な場所に住んでいる掲示板のメンバーが、満月の夜にパソコンをつけ、メッセンジャーしながら、缶ビールを飲んで宴会をした。

「満月に乾杯だ!」



 ※1998年7月から続いた2013年3月まで運営された「Yahoo!掲示板」は終了し「テキストストリーム」に引き継ぎされました。Yahoo!掲示板の「南風南高校の卒業生集まれ!」は、2001年1月から2013年1月まで書き込みがありました。




2015.1.31 Vanilla記



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