パン君とりー坊、その仲間のストーリーです。 |
2012年4月〜
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2012年2月のヤフー掲示板でのりー坊の書き込みは衝撃だった。 パン君が癌で、それも原発不明癌と聞いたこともない癌だというのだ。 そんなことは信じられない。 私たちは会えば高校時代にタイムスリップした。 高校時代は、部活やアルバイトに精を出し、これからどんな進路に行き、将来どういう仕事に就くとか、そういうことで頭がいっぱいで、病気や障がいのことなど考えたことはなかった。 大人になった今でも会えばその時代に戻っていた。 だから、私は愚かにも、高校時代の仲間は、ずっと永遠に高校生のままだと思い込んでいた。 パン君の公表は、それを打ち砕いた。そしてやっと、それは、私の単なる妄想だったと気付いたのだ。 「パン君大丈夫?」 発表の日の次の日、私はパン君に電話した。 私は、パン君の公表で、これから気を遣うと迷惑な思いを抱くはずだった。それがバニラ家の内情を積極的に明かさない第一の理由だったから。さらに、パン君の病気など私が背負う必要がないと思うはずだった。 でもちがった。 心配して、電話をしている自分がいた。 迷惑だと微塵も思うことなどなく、それから勇気をもって公表してくれたことを嬉しく思えた。 そして、パン君との距離が前よりもずっと縮まった気がした。そして、りー坊とも。 第一回ハゲ増す会が、2012年の4月に札幌で行なわれた。G先生を始め、たくさんの同級生、下級生が来ていた。掲示板の枠を超え、今まで掲示板に参加していなかった同級生も来ていた。みんな、心から心配し、迷惑そうな顔をしている人はひとりもいなかった。純粋に、パン君を励ます仲間がたくさんいるということを実感した。このこともパン君の公表を体験する以前は、信じがたいことだった。 その月、リュウが転倒骨折し入院生活がスタートした。 私は、公表しても全員が迷惑だと思うわけではなく、私と同じように、自分に心を開いてくれてありがとうと感じてくれる人がいるということを確信し、6月にリュウ、イブキ、ワタルに相談して「やさしいまなざし」というブログを作った。作ったと同時に、ありとありとあやゆる人に連絡した。パン君が私に心を開いて公表してくれたように、私もみんなに心を開いて公表した。 いろいろな反応があり、その中で何人かが、私も大病をしていたと打ち明けてくれた。あとお子さんの発達についてのことも伝えてくれるようになった。その度にやっぱり私は、迷惑だと思う気持ちは出てこなく、その人との距離がぐっと近くなった。パン君が心を開いてくれたおかげで、今度は私が友人たちに心を開き、その友人たちが私に心を開いてくれたのだ。 その度に、心の中でパン君とりー坊に感謝した。 ありがとう。 そして、大病をしていたと打ち明けてくれたひとりに、高校時代の同級生の美穂がいた。 美穂は、私と同じパスケットボール部で仲良くなり、リュウと私の結婚式で、私の友人代表を務めてくれた人だ。 |
2014.3.11 Vanilla記 |
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