ハゲ増す会始動する!

パン君とりー坊、その仲間のストーリーです。

2012年4月〜


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美穂とジャズと私のミニコミ



 美穂とは部活動以外でも付き合った。うちの近くに小さなホールがあり、そこで「山下洋輔コンサート」なるものが開催されるのを知って、美穂を誘ったのだ。
 山下洋輔はジャズピアニストということは知ってはいたが、どういう演奏をするのかわからなかった。私が母に聞くと、

「ひじでピアノを叩く人だよ」

と言った。うーん。ひじでピアノを。山下洋輔さんは文章も書く人で、私は演奏より文章の方を知っていた。その人の文章はそれなりの新聞や雑誌に載っていて、分別ある大人がひじでピアノをたたくとはどういうことかと一層興味を持ち、美穂を誘って一緒に行くことにした。美穂は、ジャズは興味あると言った。

「うちに母が買ったルイ・アームストロングのジャズのレコードがある」
 私が言った。
「知ってるよ、貸して!」
 美穂がそう返事したので、LPレコードを学校に持って行った。

 当時は、LPレコードの貸し借りは、その大きさから持っていただけで、「レコードを持ってきた」というのが一目でわかり、そこから、誰のレコードかと言う話しが出たものだ。
 とりあえず山下洋輔のコンサートの前に、同じジャズのルイ・アームストロングのレコードを聞いて、美穂と私はジャズの勉強をした。
 もう三年生で部活動も終わり、学校帰り二人でホールに向かった。演奏開始時間までまだあるし、お腹も空いたので、それぞれが買ったパンをカバンから出し、ロビーでムシャムシャ食べた。
 いよいよコンサートが始まった。即興演奏が多く、ルイ・アームストロングとはまた別のジャズだった。
 そして、演奏途中で、本当にひじでピアノを叩いた!
 分別ある大人が、ピアノと言う高い楽器を思いっきりひじでたたき、その行為に対して、みんな手をたたいていた。信じられなかった。

 この世界はいったい?

 後日美穂が、山下洋輔のコンサートのチケットに書いていた主催の喫茶店に行ってみない?と私を誘った。私はうんと返事をして、学校帰りうちに帰る方向とはまったく反対の方向のバスに乗って、室蘭の輪西に向かった。輪西に、DEE DEEというジャズ喫茶があり、そこに二人で入って行った。
 ドアはソファーのようにフカフカで、赤い分厚いそのドアを開けると、音の壁がワッといっせいにからだにぶつかってきた。もうそれで私はびっくりした。店の奥にカウンターがあり、そこにはマスターらしき人が。私たちが、

「山下洋輔のコンサートに行った者です」
と言いながら入って行くと、、
「パン食べてたでしょ」
と、マスターらしき人がそう答えた。

 見られていた。恥ずかしい。

 マスターらしき人はマスターだった。
 それからマスターが話しをすると、大学でバリケードがどうのと言う。
「バリケードって何ですか?」
 私が聞いた。
「え、バリケード知らないの?」

 新人類を見るような目で見られたので、馬鹿にされたようで頭に来た。そして、高野悦子さんの「二十歳の原点」を読むとわかりやすいと言われたので、後に読んでみた。大学紛争、全共闘時代、私の知らない世界が広がっていた。

 大学生が自分の置かれている立場に不満を持ち何らかの形で抗議した?

 信じられない。でも色々な意味で貴重な世代のことだった。

 あと、お店の一角に置いてあるマスター手作りのミニコミ紙も私のその後の人生を変えた。と言ったらオーバーか。
 インターネットがない時代、個人の思いを発信する手段として、手書きの文章をそのまま印刷あるいはコピーし、ホチキス留めし、目に留まった人に持って行ってもらえるようにしてあるものが、お店に置いてあったのだ。
 そのミニコミは全部が、マスターのコンサートの感想だとか、これからのコンサート情報とかで、埋め尽くされていた。それは、ミニコミ紙の基本だったように思う。
 私はその後短大に入り、マスターが作っていたミニコミ紙と、当時私が購入していた雑誌、共同通信社の「FMfan」誌の読者のページを見て、ある日私の内部でドッキングした。私は中学生くらいからラジオから流れてくる音楽が好きになり、「エアチェック」するために「FMfan」誌を購入していた。

 マスメディアは、一方通行だけど、双方向のミニコミ誌を作ろう。読者同士が語り合う場を作りたい。
 そこで短大時代の私は、「FMfan」誌の掲示板で音楽のミニコミ紙の参加者募集を呼びかけた。すると全国からたくさんの封書が届いた。それを元に、聴衆者同士が参加する双方向のミニコミ紙を作った。
 つまりマスメディアに対しての受け手の人たちばかりの双方向の場の提供。
 自分のページには何を書いてもいい。
 私は全員分それを印刷、あるいはコピーして小冊子の体裁にしてメンバーに送った。メンバーはこの音楽が良かったとか好きなことを書いた。その音楽について質問がある人はそのことも書いた。すると次号で質問された人がそれに答えた。
 マスメディアは個人の情報の選別もするし、訂正修正もする。そうじゃないまったく違う視点から、個人が主人公で双方向の紙上による情報発信の場を提供し続けた。今思えば紙面でのインターネットだ。
 それに私は、インターネットのない時代に、今で言うオフ会を開いた。札幌でも開いたし、私も東京まで行って東京でも開いた。オフ会という言葉がなくて、なんて言う言葉にしようか悩んだ。「顔合わせ会」「座談会」そんな言葉を用いた。

 私が短大に入ったのが1983年で、インターネットが一般家庭に普及するようになるのは1990年に入ってからで、私が双方向を思いついた時は、インターネットの世界のことはないに等しく、それがどういったものかもわからなかった。あとでインターネットができどういうものかわかってくると、個人が情報を発信でき、個人同士が情報のやり取りをできる仕組みが、私がこういうのがあればいいと思っていた物とほぼ同じで、それも規模が桁違いに違い巨大なもので、単純に良かったと思った。今では弊害もあるが。

 約15年間くらい続けたミニコミの発行だが、徐々にみんなの家庭にもインターネットが普及し、ブログで情報も発信できるようになったし、その後実名登録のフェイスブックもでき、私の役割も終わったと判断した。
 自分が情報を発信できるという私たちのミニコミ誌「MULTIPLIER」は面白かった。この空間があったら、他の空間がいらないと思ったくらいだ。その中の何人かは、今でも付き合いがある。このミニコミは、高校の友だちサラにも読んでもらったり、美穂にも伝えたことがある。
 もしもまだ情報を発信していない人がいたら、ホームページやブログ、ツイッター、ミクシィ、フェイスブックなどで情報を発信してみることをお勧めします。

 マスターの「個人が情報を発信する」というミニコミ誌にヒントを得て作ったミニコミ誌、その継続は私の自信にもつながった。それを私は短大の恩師川上信夫先生に送ったことがある。情報を発信するにはこういう方法もあるのでは?と。
 それからしばらく後、川上先生は「歴史の証人として」という個人の思いを綴ったコピー用紙を縁ある人に送り始めた。私のミニコミをヒントにされたかどうかは聞いてみたことがないから不明だが、私の中ではDEE DEEのマスターの作っていたミニコミ紙と、私が作っていたミニコミ紙と、川上先生が作っているミニコミ紙は、一本の線でつながっている。内容はバラバラだけど。

 話しは高校時代に戻る。その後も美穂とDEE DEEに行ったり、マスターが主催するジャズのコンサートを何回か聞きに行った。

 高校を卒業してしばらくすると、それぞれが結婚し、私の住むところは札幌、美穂は地元の南風市に落ち着いた。イブキが生まれ、赤ちゃんのときまで交流があったが、子育てもあり、だんだん疎遠になっていった。私の親も南風市から引っ越ししたので、里帰りも南風市ということもなく、すれ違ってばかり。
 高校の掲示板もすぐに美穂に伝えたが、美穂の年賀状にパソコンのアドレスも添えられていなく、美穂はパソコンはしないとのことだった。
 いつの間にか私たちは、年に一回の年賀状にただ「元気?」とか「今度会おうね」とか書き添えるだけの関係になっていた。

   その美穂が、私のバニラ家の公表にびっくりして連絡をくれた。まるで、パン君の公表にびっくりして連絡した私みたいに。
 そして美穂は、私も癌を患い、手術入院し、抗がん剤治療をしたと打ち明けてくれた。
 治療中は髪の毛もなくなっていたとのこと。
 早期発見でいまは落ち着き、定期検診のみということだったが、私はまた衝撃を受けた。

 美穂の病気のこともそうだし、お互いに遠慮して、重要なことを伝えるチャンスを失っていたことに。




↑音楽の話題を中心に個人が発信したい情報を何でも発信する双方向のミニコミ「MULTIPLIER」。左上奥が第一号。輪西のジャズ喫茶「DEE DEE」のミニコミ紙と同じスタイルの第一号。1984年2月23日発行。
左下の鉄人28号のイラストは実はリュウ。何も見ることなく、目の前でサラサラと書いたもの。
右上が59号。1997年1月31日発行。紙では最後。
右下がウェブマガジンとして試行された60号。ネット上にも紙でも発行。2004年4月18日発行。翌月61号を持って、実質的に終了となる。


↑ミニコミ「MULTIPLIER」には第一号から後に音楽評論家となる福原武志さんが参加してくれていた。監修:「福原武志」「増淵英紀」で最近(2014年4月17日)『日本のロック』という本がシンコー・ミュージックから発売に。宣伝です。


↑この本は、日本でのロックの誕生から現在までを追っています。知らないアルバムがたくさん。でもこうして本に残してくれないと、埋もれてしまう。音楽もそうですが、作品は過去の作品があって生まれている。ロックの歴史はアメリカやイギリスものでしか大切にされない傾向が。日本にも根付いているロックに光を当てた貴重な一冊。アルバムの写真がすべてカラー写真なのもとても嬉しい。読んでいたらやっぱり私はテクノポップが好きなんだなと思った。


2014.11.3 Vanilla記



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